2006.11.20 

<庭野すみれの なんでもウオッチング>
柏を愛すればこその熱い議論に
<アートおどろき!?うなずいた!>

(記)庭野すみれ

「柏・まちデザインシンポジウム」


11月11日、柏の街づくりを考えるシンポジウムがアミュゼ柏で開かれた。同じシンポジウムでも、これほど歯に衣着せぬ意見が飛び交うのも珍しかった。おかげで聴いている方も痛快で、しばしば場内から笑いや賛同の拍手が巻き起こった。少々過激でも、柏を愛すればこその議論であることはいうまでもない。



コーディネーターは、柏のイメージアップアドバイザーとしておなじみの、マーケティングコンサルタント・西川りゅうじん氏。パネリストは、50年あまりも都市計画にかかわってきた早稲田大学教授・伊藤滋氏、現在建設中の柏高島屋ステーションモール新館の設計を手がける建築家・大江匡氏、それに柏市長・本多晃氏である。


基調講演に立った伊藤氏は、1973年の柏の再開発事業は一時代を画す大改革で全国から注目されたが、まさか人口30万を超えるまちになろうとは読めなかった。松戸とちがって柏がアメリカ新大陸のように真っ平らな地形だったことが発展の要因でもあったろうと述べた。


話しの焦点は、1973年に完成した日本初のペデストリアンデッキ(通称ダブルデッキ)を、今後どうするかということに及んだ。伊藤、大江の両氏は、車中心の考えでつくられたデッキは、その下の部分が暗くなって死んでしまう。周りのデパートやビルが壁になって周辺の発展を阻害している。高さ1メートル上がる不快感は、水平8メートル動く不快感と同じ。したがってデッキを取り払ったほうがよいとの意見で一致した。

ここ10年で柏が一気に変わり、230万人が集うまちになり、周辺にも相乗効果をもたらしている。いまや元気な街といえば渋谷、福岡、柏。しかしバラバラなまちづくりをしている場合ではない。消費者はきびしく冷酷であることを忘れてはいけない。タブーという固定概念をとりはらってほしいと述べたのは西川氏。

いっぽう、玉川高島屋や大阪難波の高島屋も手がけてきたという大江氏は、いまでは、都会の雰囲気と同時に郊外の要素も持つ住空間が求められていると述べ、他の街の具体例をあげながら、デッキを取って、屋根をつければ、雨にぬれずに駅にいけると提案。

伊藤氏は早稲田の学生たちと選んだ醜悪な景観ワースト25をスライドで披露、そのなかに柏が二箇所も入っていた。「技術的なことは若い世代にまかせるとして、70代のわたしが言えることは、そごうをつぶしましょう、デッキもはずしましょう、JRのコンコースも壊して1・5倍くらいにしましょう」と、爆弾発言。


これらの意見に対して本多市長は、「心配していた通りの意見になりました」と、苦笑しながら、話を現実の問題に引き戻した。耐用年数がきているデッキだが、基礎はしっかりしているので、取り払わず上部のデザインを一新し、サンサン通りへの降り口にエスカレーターをつける。

JRの増改築とあわせて、周りのビルが壁になってその向こうが発展しにくいので、ビルを通して向こうにいけるようにすることも考えている。大規模改修は不可能だが、点の改修で努力する。美しくお化粧した街もいいが、巣鴨のようなごたごたした街もまたいい、と語った。

一般の参加者からも、「デッキの下は暗くて寄り付きたくない。タブーをはずしてやってほしい」 「VIP向けのホテルなどつくっても、うまく定着するのか気がかり」「ビックカメラの下で商売をやっている者ですが、貴重なご意見を参考にします」などの意見が出された。


西川氏は、勝ち組=価値組。つまり今は自分の価値で場所を選び、住み分ける時代。不可能を可能にしてきた柏のこと、道並、店並、家並、人並、駅並、空並、この六つの街並を考慮して、100年、200年先を考え、「柏らしい上質」を目指してほしいと結んだ。

25年ほど前、柏に移ってきてダブルデッキに立ったとき、「わー、いいなあ」と、なんともいえないさわやかな解放感に浸ったものである。だが、専門家の話を聞いていると、それも納得がいく。これからも心地よく、しかも刺激的な街であってほしい。